物心がついた頃、母親が死んだ。私に父親はいなかった。ただ小さいゆえか特に何も感じず、母と母方の祖母と3人で暮らしていた。
私はなんとなく母親の死を悟り、祖母が悲しみに浸っている時にそれは来た。
「こんばんは」
月のない夜で、玄関から外の暗闇にまぎれるようにその男はやってきた。それから祖母と何かを話して母のいる仏壇に手を合わした。このあたりの記憶はとても薄い。ただ難しいと判断したのかもしれない。
その男が帰る間際に腰をかがめて私に言った。
「明日の夜、迎えにくる。それまでにちゃんと仕度をするのだよ」
一度も父親と言わなかったのははっきりと覚えている。男が帰ってから祖母は泣いていた。それから私をぎゅっと抱きしめていた。その後も何かあったはずだけれど覚えていない。
ただ、私も泣いていた。泣いて、父親に手を引かれてその家を去った。それだけは覚えている。
そして大きな黒い自動車のなかで父親だと知った。
屋敷に連れて行かれて、そこで初めて姉に会った。当時の姉は私のところに遊びに来ては世話を焼いてくれた。異母姉妹であったけれど姉は私にとても優しく時には厳しく愛情を示してくれた。父親とはたまにしか会えなかった。
そして私は殺し屋としての技術を姉や父親の側近たちから習い、屋敷で英才教育を受けた。
姉から技術を教わり始めて暫く経った頃に姉は突然切り出した。
「もうここへは来れなくなるわ。お父様のお仕事を手伝うの。いい?静音。他の人たちから多くのことを学びお父様のお役に立たなくてはいけないわ。だから強くおなりなさい。強く、ね」
それから最初の仕事をもらうまで姉と会うことはなかった。姉と会いたい、そんなたった一つの願いが私を寄り一層強くした。
最初の仕事は十三の時だった。サイレンサー付の銃を後ろから向けて二発発砲しただけで相手は事切れた。
「・・・こんな話・・・楽しい?」
「うん。なんていうかな。綺麗だと思ったあの光景がどうして出来たのかなって」
「そう」
ここは昔話を語るにはとても違和感のある部屋。彼の部屋。生活感が薄い、コーヒーの匂いがする部屋。
私はあとどれくらい、彼の部屋にいれるだろうか。胸のとてもとても深いところで時間をカウントする何かがある。きっとそれは終わりへのカウント。彼と過ごせる時間のカウント。それでもいい、と思った。今がただ幸せだと感じた。
その終りが来る時、時間は終る。私はその時どうするのだろうか。
けれど、そんな考えも彼の横で静かにコーヒーを飲んでいる時にはすぐに消えてしまう。彼は私の消せない記憶を少しだけ隠してくれる。
「・・・嫌いじゃ、ないわ」
たった一言の呟き。それはほとんど無意識に口が勝手に紡いだ言葉。けれど彼はそれを流さずにこっちを見、それからゆっくり微笑み、唇を重ねた。
そうして私はまた、彼と過ごせるタイムリミットを胸のとてもとても深い場所に追いやってしまうのだった。
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